たつき諒さんの『私が見た未来 完全版』を手に取ったとき、私は思わず自分の子供時代に感じた「予言」の世界を思い出しました。
特に、あのノストラダムスの大予言です。
1999年7の月、空から恐怖の大王が降ってくるという予言は、当時のニュースや週刊誌、テレビ番組などで繰り返し取り上げられ、社会に不安を巻き起こしていました。
子供だった私も、家族や友達と「世界が終わるの?」と半ば本気で心配していた記憶があります。
教室でも話題はノストラダムス一色で、誰もが何となく不安な気持ちを抱えていたのです。
けれども、結局その「1999年7月」には何も起こりませんでした。
夜空に恐怖の大王が現れることもなく、私たちは平穏な日々を過ごし続けることができたのです。
私はすでに大人になっていましたが、あのときの安堵感と、「予言は絶対じゃないんだ」という気づきは、今でも鮮明に覚えています。
一方で、たつき諒さんの『私が見た未来 完全版』を読むと、あの時のノストラダムスの予言とはまた違った感情が湧き上がってきます。
なぜなら、たつきさんの描いた予知夢は、実際に過去の出来事と重なる部分があり、信憑性を感じさせるからです。
特に東日本大震災を予見したとされる一節を読むと、胸に冷たいものが走るのを感じます。
あのときのノストラダムスのように「ただの予言」と片付けられない、現実味のある未来への不安が、じわじわと心に広がっていきます。
しかし、だからこそ私はこの本を読んで「必要以上に怖がらないこと」が大切だと改めて感じました。
もちろん、何も起こらない保証はどこにもありません。
でも、予言に踊らされて不安に押しつぶされるのではなく、普段からの備えを怠らずに、冷静に情報を受け止めることが、私たちにできる最善の対応なのだと思うのです。
今回は、そんな思いを込めて、『私が見た未来 完全版』を読み解きながら、予言の持つ意味や、備えの大切さについて考えていきたいと思います。
未来は予測不可能で不安なものだからこそ、私たちは自分でできることを積み重ね、日常を少しずつ整えていくことが必要なのです。
- ■『私が見た未来 完全版』とは?
- ■ノストラダムスの大予言と私の子供時代の記憶
- ■予言を知った今、私が考える「備え」の重要性
- ■必要以上に怖がらない、冷静に向き合う大切さ
- ■まとめ|『私が見た未来 完全版』を読んで思うこと
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■『私が見た未来 完全版』とは?
『私が見た未来 完全版』は、たつき諒さんが自身の「予知夢」をもとに描き上げた漫画作品です。
1999年に初版が刊行されるや否や、その内容の衝撃性から一部の読者に熱狂的に受け入れられました。
特に、作中に描かれた「大災害の予知」は、当時から「現実に起こりそうな予言」として、都市伝説的な話題を呼んでいました。
しかしながら、この作品が真に注目を集めるようになったのは、2011年の東日本大震災の後のことです。
たつき諒さんがかつて描いた「夢の中で見た大災害」の内容と、震災の発生があまりにも符合していたことから、インターネット上では「本当に未来を見ていたのではないか」と話題騒然となりました。
これをきっかけに、すでに絶版となっていた初版はプレミア価格となり、中古市場では数十万円で取引されるまでに至ったのです。
そして2021年、ファンの要望に応える形でこの『私が見た未来』は「完全版」として再び世に出されることとなりました。
この完全版では、初版には収録されていなかった新たな「予知夢」が多数追加されています。
中でも注目を集めているのが、たつきさんが見た「夢日記」が初めて収録されている点です。
この夢日記は、たつきさんが夢で見た出来事を詳細に記録したもので、夢の中で感じた光景や感情まで書き残されています。
これまで謎めいていた予知夢の全貌を、よりリアルに読者に伝えるものとなっているのです。
その夢日記の中でも、特に多くの読者に衝撃を与えているのが、「本当の大災難は2025年7月にやってくる」という記述です。
この部分は、多くのメディアやSNSでも取り上げられ、「次の災害の予兆ではないか」と不安をあおる声とともに、逆に「過剰に反応せず冷静に情報を受け止めるべき」という冷静な意見が入り混じっています。
私自身も、初めてこの予知夢を読んだとき、ただのフィクションや都市伝説として切り捨てることができず、心のどこかに不安の種を残す感覚を覚えました。
この「2025年7月」というキーワードが意味するものは何なのか?
なぜ、たつきさんはこの時期に「本当の大災難」が起こると感じたのか?
その理由は夢日記の中に記されている断片的なイメージにとどまっており、詳細は依然として謎のままです。
しかし、これまでの東日本大震災の例を考えると、決して無視できない内容であることは間違いありません。
さらに、この完全版では、たつきさんがこれまで抱いてきた「夢」と「現実」との境界に対する思いが、より深く描かれています。
夢の中で見た恐ろしい光景や、現実では説明がつかない不安感。
それらをどのように受け止め、どのように日常に向き合ってきたのかが、丁寧な語り口で綴られています。
この点においても、単なる「予言漫画」という枠を超え、読者に「自分自身の心の声を聞く」きっかけを与えてくれる作品となっているのです。
■ノストラダムスの大予言と私の子供時代の記憶
1999年7月――。
当時の私は、まだ子供でしたが、テレビや雑誌、友人たちとの会話の中でノストラダムスの「空から恐怖の大王が降ってくる」という言葉を何度も耳にしました。
その言葉は、子供ながらに強いインパクトを持って心に刻まれ、漠然とした不安感を私に植え付けました。
ニュース番組では、コメンテーターたちが「本当に世界が終わるのではないか」「地球が滅びる日が来るのではないか」と真剣な顔で議論しており、それを見てさらに恐怖が募りました。
友達の間でも「今年の夏は地球が爆発するらしい」と半分冗談、半分本気で話していたのを覚えています。
しかし、あの年の夏は、結局何も起こりませんでした。
空から大王が降ってくることもなければ、地球が崩壊することもなく、私たちの毎日は何事もなかったかのように続いていきました。
あれほど恐れていた「終末の日」は訪れず、いつもと変わらない生活を送っていたのです。
この経験を通して、私は「予言に対して必要以上に怯えることの無意味さ」を学びました。
確かに予言や噂は心を揺さぶりますが、それが現実になるとは限りません。
むしろ、情報に振り回されることで自分自身を追い詰め、不安に支配されることのほうが、ずっと怖いのだと気づいたのです。
あの時の子供の私に伝えたいことは、「心配しすぎなくてもいいよ」という一言です。
未来のことを恐れすぎて、今を楽しめなくなるのは本当にもったいないことです。
けれども、その一方で、「備えは必要」だということも心に留めるようになりました。
■予言を知った今、私が考える「備え」の重要性
たつき諒さんの『私が見た未来 完全版』を読んだ今、私はかつてのノストラダムスの大予言の記憶と重ね合わせながら、改めて「備え」の重要性を痛感しています。
もちろん、たつきさんの予知夢が本当に現実となるのかはわかりません。
しかし、災害大国・日本に住む私たちにとって、「備え」を考えることは決して無駄ではありません。
例えば、地震や台風といった自然災害は、予告なしに突然やってきます。
東日本大震災の時も、私たちはその日常の中で突然、未曽有の大災害に見舞われました。
あのときの混乱と恐怖は、今でも忘れられません。
だからこそ、私は家の中に防災グッズを揃え、非常食や水をストックし、家族との避難経路や連絡手段を定期的に確認するようにしています。
また、物理的な備えだけでなく、「心の備え」も大切だと思います。
SNSやメディアから流れてくる情報は、時に不安を煽り、冷静な判断を鈍らせます。
たつきさんの夢日記に描かれる予知夢もまた、インターネット上で一人歩きし、不安感を煽る一因となっています。
しかし、だからこそ私たちは情報を鵜呑みにせず、複数の視点から情報を検討し、自分なりの判断基準を持つことが必要です。
備えとは、単なるモノを揃えることではなく、知識を蓄え、冷静に状況を見極める心を養うことでもあります。
そうした積み重ねが、いざという時に自分や家族を守る力となるのだと、私は信じています。
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■必要以上に怖がらない、冷静に向き合う大切さ
予知夢や予言は、確かに私たちの心に「不安の種」をまきます。
しかし、私が『私が見た未来 完全版』を読んで感じたのは、たつき諒さん自身が「恐怖を煽るために描いたわけではない」という思いです。
むしろ、たつきさんは「夢を通じて何かを伝えたい」「これをきっかけに自分自身の備えを考えてほしい」という意図で作品を描いたのではないでしょうか。
必要以上に怯えてしまうと、日常生活に支障をきたします。
心が不安でいっぱいになると、仕事や家事、人間関係にも悪影響を及ぼしかねません。
私は、ノストラダムスの予言で不安を感じていたあの頃の自分を思い出し、「あの時のようにならないようにしよう」と心に決めています。
予言や予知夢は、あくまで「参考程度」と考え、冷静な目で受け止めること。
正確な情報を得る努力を怠らず、自分で判断し、必要な行動をとること。
それが、未来に向けての「備え」と「心の平穏」を保つ最善の方法だと思うのです。
■まとめ|『私が見た未来 完全版』を読んで思うこと
『私が見た未来 完全版』を読み終えたとき、私は「予言」と「現実」の間にある微妙な距離感について、改めて考えさせられました。
予言はあくまで「予測」であり、必ずしも現実になるわけではありません。
しかし、それをきっかけに、私たちは普段からの備えや、情報を冷静に受け止める姿勢を見直すことができます。
必要以上に怖がる必要はありません。
むしろ、心の中に「もしも」に備える意識を持つことで、いざという時にも落ち着いて行動できる力が養われるのです。
予言に踊らされることなく、冷静に、でも心のどこかに「準備しておこう」という気持ちを持ち続ける。
これが、私がこの本を読んで学んだ、未来に向けた生き方です。
そして、家族や友人、大切な人たちと「もしもの時」に備える話をすることも、安心感につながります。
「備え」をきっかけに、家族の絆や信頼関係を深める機会にもなるのです。
たつき諒さんの『私が見た未来 完全版』は、単なる「予言本」ではなく、私たちの心に「未来に向き合う準備」を促すメッセージを届けてくれる一冊です。
この本を通じて、私はこれからも日々の備えを怠らず、でも心に余裕を持って日常を過ごしていきたいと思います。
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